2011年9月24日土曜日

懐かしいアド街ック天国、懐かしい横浜時代

久しぶりにテレビを買って、ケーブルテレビを契約した
おかげで、テレビせとうちが見れるようになった。

おかげで、アド街ック天国が見れた。

東京本社勤務時代の'95-'98に、
東京近郊を勉強しようとよく見ていた。
めっちゃ若かった頃の好奇心を満たしてくれた。

今見ても、15年経った今でも、
司会のきんきん、
レギュラーのやっくん、峰竜太、五郎さんなど、
皆同じ。替っていない。
みんな年とっている。

さらにびっくりしたのは、
番組構成が全く変わっていない。
説明の声や、カウントの女性の声など、
全く変わっていない。
ベスト30から始まって、カウントダウン10ごとに
フィルムからスタジオに画面が変わるところも、
全く同じ。変わっていない。

さらにさらに、びっくりしたのは、
薬丸印の新名物のコーナーも全く変わっていない。

まさかと思ったが、
番組後半のご当地美人コレクションもそのまま。

番組見ながら興奮気味でブログ書いている。

ひえーっ
なんか、15年前にタイムスリップした感じ。

でも、最後の街の宣伝コピーのコーナーが
なくなってる。
変わったところがあった。

ちなみに、このころは、横浜の北の端、
おしゃれで有名な東急田園都市線のたまプラーザ駅
徒歩5分の寮に住んでいた。
ここは、当時、金妻のドラマシリーズのロケ地で有名な
高級住宅街。
寮の廻りの若夫婦の一戸建ての家から、毎朝、ご主人の出勤だけでなく、
子供の通学にも、
ハイヤーが迎えにくる景色が、あちこちで見られた。
廻りの家の車庫にはベンツ、BMWなどの外車しかなかった。
この番組にももちろん取り上げられた。

休日には、欠かさず、多摩川の河川敷に
パナソニックのマウンテンバイクで
走りに行ってた。
寮から一番近い狛江の橋まで車で輪行し、
上流は八王子、下流は羽田空港を往復してた。
そのバイクは最後は新居浜に持ってきて廃車にした。

つまり、今でいう多摩サイをしていた。
当時はそんな言葉はなかった。
当時、多摩川で自転車に乗ってる姿はほとんど無かった。
今では、多摩川河川敷は自転車ですごいらしい。

また、夜には、暇さえあれば、
湾岸線をドライブしてた。
横浜から羽田を過ぎ、ディズニーランドあたりで折り返す。
めっちゃ夜景がきれいかった。

楽しいこと、ほろ苦い思い出、
いろいろなことが蘇ってきた。